般若心経を音楽にのせて
海外生活で困るのは、コロナの影響で里帰りが出来ず、父のお墓参りに行けないことだ。
いつお墓参りが実現できるのか、全く見通しがつかない現状に、時々気が滅入ってしまう。
真言宗だった父の月命日には、般若心経の本を片手にお経を唱え、仏壇に毎日ご飯や花を供えている母に、自分の分もお線香をあげてくれるようお願いしている。
父が守り神となって家族を不幸・困難から避けてくれているからいつも仏壇に拝んで感謝している、と母はよく言っている。
お寺や神社参拝時に、昔は欲張ってこれもあれもとてんこ盛りのお願いをしていたのだが、今ではまず仏様/神様へ感謝するようになった。
お寺参拝の本来の意味は仏様への感謝にあることを、愚かにも遅ればせながら知った。
仏様になった父にも、以前ならお願い事のみだったが、今は自分が健康で幸せに暮らしていることへの感謝がメインとなった。
父は超子煩悩で、照れ屋で口下手だった。
なので、私は父に叱られたことが1度もない。遠まわしに注意されたことすらない。
父は努力の人だった。
子供は親の背中を見て育つと言うが、気がついたら自分も努力家になっていた。
貧乏人の箱入り娘として大切に育ててくれた父に、そして無遅刻無欠勤で家族のために黙々と生真面目に働きぬいた父に、心から感謝している。
父のお葬式時、僧侶が般若心経をあげだすと、遠い田舎から参列した父方の親戚数名がいっしょに唱えだし、しかも綺麗にハモっていたのを聴いて、あまりの迫力に鳥肌が立った。
ローマ教皇が住んでいるイタリアは、言わずもがなカトリックの国だ。
日本では知人の結婚式でしか聴いたことのない賛美歌だが、こちらでは教会で偶然耳にする機会が何度もあった。
お経と賛美歌は全然似てないし、残念ながら、どちらも意味は完全に理解できない。
だが、どちらを聴いても心が洗われるという点は、共通している気がする。
父親は音楽好きで、演歌なら北島三郎、クラシックならワルツ王ヨハンシュトラウスと、明るい曲調が好みであった。
だから最近は、Japanese Zen Musicチャンネルの薬師寺寛邦(キッサコ)の般若心経の音楽動画に合わせて、月命日にお経を読んでいる。
父が喜んでくれることを願いながら。
*今週のお題「感謝したいこと」への投稿文です。